序文
越中「長州!お前は負けたんだ!約束通り髪を切れ!!」
長州「やってられっか!かちくらわすぞゴルァ!!」
(ちょきん←ちびっと切った)
越中「お前、そんなもんで納得すると思ってんのか?!」
長州「うるせぇッ!健介!健介ッッ!!」
健介「なんスか長州さん!?」
長州「お前切れッ!」
健介「…ハイッ!!」
(ぢょきんッ!!←何故か自分の後ろ髪をばっさりカット)
観客「…え?」
健介「これで文句ねーだろーッ?!アーッ?!」
観客&越中「なんじゃそらあッ?!」
―健介…思えば、君はこの頃からアレな感じだったよね…。
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新日本プロレス※1に、佐々木健介というプロレスラーがいます。個人的には決して嫌いな選手ではありません、ヘビー級プロレスラーというには、ちょっと足りない身長を非常にハードなトレーニングでビルドアップした身体でカバーするという、純正日本パワーファイターです。
なかなかいい選手ではあるんですが、とにもかくにも彼には『華』がない上に、肝心なところで負けてばかりでどうにものし上がれないという、なかなかにダメダメな選手なんです。いえ、嫌いじゃないんですけど。
もともとは相撲用語なんですが、盛り上がらないような試合、駄目な試合、またはそういう試合しかできない力士をして、『しょっぱい』といいます。(例:○○山は、しょっぱい身体でしょっぱい相撲しかできないから、素質はあるのに前頭三枚目どまりなんだよな。)
まぁ相撲も格闘技のウチってこともあるんでしょうか、他にもこの「しょっぱい」という表現は格闘技界で広く使われています。というわけで、相撲と密接な関係にあるプロレスでも、多分にこの「しょっぱい」という表現が使用・認識されているワケなんですけど、くだんの佐々木健介選手も、その存在をして『しょっぱい』とするプロレスファンが多くいるようです。そんなプロレスファン達は、色々な気持ちを込めて彼をこう呼びます。
佐々木塩介(えんすけ)
…あんまりといえばあんまり、なんですけど、個人的には言い得て妙、といった感じです(笑)。
彼のしょっぱさは、元より他の同世代の選手に比べての『華のなさ』にとか、あげたらキリがないっくらいのエピソードに起因するんですけどね。まぁ、そんな彼もチャンピオンになり、団体のエースになる機会が回ってきました。一時期はそれでも王座を何度も防衛し、安泰かと思われたこともありました。ところが、ここからの彼のヒストリーが、その『しょっぱい』という評価に拍車をかけることになります。
チャンピオンそして団体の顔となった彼は、当然外敵を迎え撃つ立場にあります。そして勝利を収めなくてはなりません。ところがまず、歴史的交流戦となった全日本プロレスとの対抗戦※2では全日本プロレス・エースの川田利明と対戦し、敗北。
健介はチャンピオンベルトの返上を口にしますが、断られます。そう、一度潰されたメンツは自ら這い上がって取り戻すしかないのです。
そしてこの頃、新日本プロレスから離脱し、総合格闘技で名を上げて帰ってきた藤田和之が新日本に対して挑戦状を叩きつけます。対抗戦で敗北し、メンツを潰されてしまったチャンピオン・佐々木健介にとっては、これはチャンスです。しかし健介は最強外国人選手、スコット・ノートンとの防衛戦を控えていました。ちなみに下馬評は健介不利、ですが勝たなくてはいけません。
そこで、詰め寄ってくる藤田の挑戦に、
我らがチャンピオン健介はこう応じました。
「防衛したらベルトをかけてやってやる!」
まさに背水の陣。
宣言した健介の表情にはあからさまな悲壮感すら漂っていました。「いいぞ健介!俺達はそんなゆとりのない、ちょっとしょっぱいチャンピオンを応援するぜ!」判官贔屓といった感じで、ファンの間にも健介に対する期待が高まります。さぁ、メインイベント!いよいよ防衛戦です!ここは勝利して弾みをつけたい!ゴングがなります!!
結果。
…まんまと負けてくれました。
盛り上がったファンの気持ちは一気にトーンダウンします。藤田和之選手は結果如何に関わらずベルトに挑戦することが決まっていましたので、自然と対スコット・ノートン戦となってしまいました。
飛び出した古巣のチャンピオン、それも大先輩と戦うことで実力を示したかった藤田としては高まっていた気運をスカされたも同然。だってスコット・ノートンはブッキングされている外国人選手であって、新日本プロレスの正規な選手じゃありませんしね。
「まぁ組まれたからにはやりますけど。」
かなり憮然としています。
そんな憮然とした様子で会場に現れた藤田に対して健介はいいました。
「藤田!」
おおっ?何を云うつもりだ?会場がざわつきます。
「…正直スマンかった。」
謝ってどうするんだアンタ。
会場からもテレビ中継を見ていた視聴者からも総ツッコミを受ける健介。当然会場からはガッチリ失笑が漏れていました。もう塩味全開のしょっぱさです。
この名言はプロレス界の2001年流行語大賞といった雰囲気すらあります。まさに健介というレスラーを如実に表した至言でしょう。その後、藤田とは再戦を約束したわけですが、いつのことになるのやらと期待は薄味でした。
そしてその後の大きな大会で、藤田は健介に勝ったスコット・ノートンと戦ってあっさり勝利。チャンピオン藤田和之の誕生です。一方、我らが健介は同じ大会のメインで、団体から離脱して別の団体を起こした橋本真也と対戦します。これまた名誉回復のチャンス!
ところが我らが健介、期待を裏切ったりはしません。
事実上のKOで敗北。
そしてノーコメントのまま会場を後にし、
失踪。
シリーズ(巡業ね)にも参加せず、エースは次の世代の永田裕志選手に移ります。チャンピオンは藤田に挑戦したりNOAH※3とZERO−ONE※4の対抗戦に登場したり、とプロレス界の話題を独占します。一方、我らが健介は一体どこに行ったのでしょう?
答えはアメリカにありました。彼はプライドを捨てて一から出直したのです。藤田と同じように総合格闘技のトレーニングに取り組み、ファイトスタイルを大幅にチェンジ、自己改造に取り組んでいたのです。アメリカで行われたノールール系の大会に出場し、相手を秒殺。
自信と自分自身を取り戻し、帰国します。狙うは、対戦し損ねた藤田和之、そして自分に代わってエースとなった永田裕志の2人です。無論、落ち込むところまで落ち込んだところにダメ押しをした橋本真也にもリベンジしなくてはなりません。健介ったらやること多すぎです。
トレードマークであったダサイ見事な長髪をスキンヘッドにして、迫力満点になった健介は、リングに上がるとマイクを握り、アピールします。「帰って参りました!」会場はそこそこ歓迎ムードです。さぁ挑戦状も叩きつけ、変わった自分を見てくれとアピールです!この大会はテレビ中継も入っているので、会場に来ていないファンにも伝わるはず!再出発するぞ!!
…となるところですが、あの対米無差別テロの関係で、この大会の中継は放送されませんでした。健介、運にも見放されています。
それでも健介は第一試合からの再スタートで若手を相手に、余裕の秒殺を重ねていきます。そしていよいよ迎えた、対藤田戦。新生健介vsチャンピオン藤田、あの「正直スマンかった」発言から数ヶ月、リベンジを果たして返り咲けるか健介?!…と、なったわけなんですけど、結果、惨敗。
もう、本当にありえない展開です。というかあってはいけない展開です。このように佐々木健介というプロレスラーは本当にチャンスに弱い男です。2002年1月4日・東京ドーム大会では柔道王転じて暴走王、小川直也とのシングルマッチが決定しています。
まったく良いところがなかった2001年。一体、我らが健介は、どこに迷走してゆくのでしょうか?この先展開から目が離せません。
これからも春九堂は佐々木健介というレスラーを、生暖かく見守っていきたいと思います。っつーかむしろ、どこまで堕ちるのか、今後どんな名言を聞かせてくれるのか、楽しみなんです。ホントに。
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―2002年1月4日―
緊急追記
『健介。お前どこに行くんだ?』
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某2chのAA(アスキーアート。文字や記号だけで構成されたイラスト(?))から、テキストサイト界隈や、ネットワーカーの間でも一部大流行している、あの『正直スマンかった』発言で、ある意味一世を風靡したプロレスラー佐々木健介選手(新日本プロレス)が、またやってくれました。(ちなみに今までの健介の歩みはコチラ。)
ゴールデンタイムの放送でテレビ朝日でもやっていましたから、ご存じの方も多いかと思いますが、一応結果はこんな感じです。
新春恒例:新日本プロレス1・4東京ドーム大会第8試合
| 柔道王&暴走王 |
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新生・帰ってきたエース |
| 小川直也 |
vs |
佐々木健介 |
結果:4分2秒・無効試合。
まぁ、こんなのはいつもの新日本プロレスであり、小川直也なんで、いくら注目の健介の試合とはいえ、わざわざ「やってくれました」ととりあげることもありません。では、なにをやってくれたか。といいますと、試合後のコメント。
| ◆佐々木「納得いかない。ヴアー。納得いかない。クソ。ファンの人はオレたちの試合を見にきたのに、クソ。もう1回やってやる。もう1回。3年前からの新日本プロレスと小川の戦いだから、セコンドが熱くなるのはわかる。すべてを含めたこの試合で勝ちたかった。はっきりした形で、もう1回やりたい。いつでもいい。ルールなんていらないのかも」 (「日刊スポーツ」より) |
これを読んで何も感じなかった貴方は、ウチのサイト向きじゃないのかも知れません。今一度読んでみましょう。今度は、わかりやすく装飾してみましょう。
| ◆佐々木「納得いかない。ヴアー。納得いか(中略)んていらないのかも」 (「日刊スポーツ」より) |
ヴアー。
なんとも発音しにくい字面です。しかし、健介のやるせなさが実にダイレクトに表現された言葉じゃないですか。春九堂としては、もう試合結果なんてどうでもいいです。ヴアー。これだけで全てが表現されてますよ。さすが健介です!
「ポカやった。アー!ポカやった!!アー!!」「藤田ッ!…正直スマンかった」等の今までの名言にさらに1つ加わりました。本当に今後に期待させてくれます。これからも春九堂は、迷レスラー・佐々木健介選手を生暖かく応援したいと思います!
ヴアー。
(下唇を咬んでから、吐き出すように。)
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新日本プロレス…※1
日本におけるプロレスの開祖は、いわずとしれた力道山であり、彼の創始したプロレス団体が『日本プロレス』であった。そして力道山が見い出し、育て上げた2人の弟子が昭和のプロレスを作り上げた。即ちジャイアント馬場と、アントニオ猪木の2人である。
新日本プロレスとは、力道山の死後、日本プロレスを離脱したアントニオ猪木が創立した団体で、『ストロングスタイル』を詠いあげ、アントニオ猪木自身が様々な格闘家との異種格闘技戦を行うなどして、「プロレスこそ最強の格闘技」という存在意義をアピールしていった団体である。藤波辰巳、長州力、前田日明、高田延彦、初代タイガーマスク(佐山聡)らを排出。現在では蝶野正洋や、武藤敬司などがバラエティー番組等に露出し、有名である。
現在日本最大のプロレス団体。放送局はテレビ朝日。
全日本プロレス…※2
力道山直系の弟子、元読売ジャイアンツピッチャーの馬場正平ことジャイアント馬場(故人)が創立した団体。ザ・デストロイヤー、スタン・ハンセン、テリー・ファンク、ドリー・ファンク、ミル・マスカラス、ブルーノ・サンマルチノ、フリッツ・フォン・エリックなどの数多くの外国人名選手を数多く招聘し、その豪華さとジャイアント馬場自身の存在が多くのファンを生んだ。アマチュアレスリングでオリンピック日本代表にもなった、鶴田智美ことジャンボ鶴田(故人)を育て上げ、安泰かと思われたが、メガネスーパーという企業の起こしたプロレス団体SWSに天龍源一郎などのスター選手を引き抜かれ、ジャイアント馬場も高齢のため第一線を退いており、存続の危機にあう。
だが、ジャンボ鶴田をメインに据え、若手らをぶつけていく「鶴田越え」というテーマを据え、若手が強靭に育ち行き、三沢光晴、川田利明、小橋健太、田上明などの選手が台頭してくる。ジャンボ鶴田が病気で第一線を退いた後、これらの選手が当たりの激しい試合をし、『四天王』また『四天王プロレス』というスタイルを生み出し、数多くの名勝負を生みだしファンの支持を受けることになる。
しかし、ジャイアント馬場・ジャンボ鶴田の相次ぐ死去の後、三沢光晴が社長の座に着くも古くからの経営体制と衝突。自由なプロレスを求めて、川田利明、渕正信、馳浩、マウナケア・モスマン(現・太陽ケア)を除き、全選手が離脱し、現在に至る。
日本テレビが放送局であり、新日本プロレスと対極を成すメジャー団体だったが、この大量離脱により現在はCSのGaoraが放送局となり地上はスポンサーを失う。現在は川田利明をエースとし、里帰りした天龍源一郎、また新日本から武藤敬司が参戦し、他インディー(小規模の独立団体)やフリーの選手を多くブッキングし、所属選手が少ないながらも団体を存続させている。
NOAH…※3
正式名称はプロレスリング・ノア。全日本プロレスを離脱した三沢光晴らが起こした新団体。秋山準、小橋建太、大森隆男らを擁する、四天王プロレスの移転先。日本テレビが放送局。
ZERO−ONE…※4
新日本プロレスを離脱した橋本真也らが起こした新団体。橋本の奇行が気になる今最も笑えるような熱いような団体。大谷晋二郎、星川尚浩、高岩竜一らを擁す。CSでPPV放送。
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