<第1章>
『面影は薔薇とオイルのかほりにも似て』





私立テキスト学園。

とある学校法人によって運営される、この学園は、これまでも様々なドラマを生みだしてきた。


そして一昨年の末。この学園理事長室も、あるドラマの一幕の場となった。

覇者りん理事長。

彼は、その肩書きに相応しく威厳をもった存在であった。彼ともう一人、<炎多留の盟約>で結ばれた猛き漢によって、学園をスムーズ運営され―彼らにとって「楽園」であるという意味においても―何も問題がないかのように思えた。

だが、その漢が去った今。事実上、学園の権力を掌握している人間は別にいた。


―生徒会長、ワタナベ。


原因となったドラマには、自分の立場も大きく関与している。有り体に云えば弱味を握られている。だから覇者りん理事長は大人しくなるしかなかった。

一般の学生達の前ではいつも通り肩の棘を鈍く鋭く光らせながら堂々としていても、彼の心は安まることはなかった。いつ自分の立場が崩れるかもわからない状態、いやそれだけではない。こんなことが『上』に露見してしまったら…。

妙にリアルに生々しい人形達がおかれた理事長室。学生達にいつしか「蝋人形の館」と呼ばれるようになった、その部屋で、彼はマホガニーの机から胃薬を取り出して無造作に放り込むと黒豆茶で飲み下した。

鬱陶しげに前髪を払い上げると、書棚にもたれて彼の姿を見て含み笑いをしている、痩身の男を睨む。

「学園は問題なく運営されている…。ワタナベもヤマグチも今年で卒業だ。実質生徒会からも半年で離れる…そうすれば『あの事件』を知る者は三等兵のみ…。」

「…なのに、何故…この時期に…」

黒豆茶の濁った臭気に噎せ返りながら、覇者りん理事長は問いを放った。


痩身の男―。

黒いシャツ、黒いスーツ、黒いベルト、黒い革靴、ソックスも、指輪の石も―彼の纏う全てが、暗闇を放っていた。まるでその姿は書棚に影が伸びているかのようですらある。だが一点明らかに違うのは、その存在感。

それは同じように黒い、彼の眼から放たれているものであった。一見、陽気に笑みを象る目の深奥、瞳には…―明らかな狂気―。


痩身の男―。

誰もが気にしないであろう「私立テキスト学園」の運営法人組織。世間の手前上、学校法人を名乗る世界規模の複合組織…<MCN>の最高幹部。

名を、「みずは」といった。



「『何故』だって?」

まるで芝居がかった歌劇役者のように。シェイクスピアの描く道化師が歌うかのように。みずはは「台詞」を云いながら、身を起き上がらせると、一歩二歩と覇者りん理事長の座るマホガニーの机に近づく。その陽気な仕草とは裏腹に―幽鬼のように。


「『何故』、と聞いたのかい?」

「『何故、この時期に、彼を戻らせたのか』ってことかい?」

「『あの男を戻らせたのか?』と…?」

歩を進めるたびに、彼は質問を具体化させて机に近づく。そして目の前に来ると、両の掌をマホガニーに叩きつけるように、動作に一拍をおいた。呆然とする覇者りん理事長の眼前に自らの顔も近づけ、狂気の眼光で射抜く。

そしてオーケストラの盛大なフィナーレに向かうマエストロのように、瞑目し、すっと呼吸をすると、そのまま耳元に口を寄せて―




「『面白そう』だからさ…。」




そう、呟いた。





―オイルの臭いがした。

懐かしい臭いだ。春九堂はそう思った。


私立テキスト学園には理事長覇者りんの経営姿勢からハイテクノロジーを用いたセキュリティシステムが備え付けられている。

教員や職員は無論磁気データカードのIDパスを携行し、業務を管理されている。しかもそれは超小型の発信機にもなっている。それだけに留まらず、学生達が着用を義務づけられている校章もだ。それらの発する信号で、誰が何処にいるかをレーダーが逐一監視しているのだ。


セキュリティルームに響いたアラームで、正門からの侵入者
(一般的には部外者と呼ぶべきだろう)の存在を確認した警備部長の春九堂は、モニターの画面を凝視した。

しかしモニター上に点滅していた「侵入者」は、その表示名を変えた。つまりIDパスをセンサーに通したのだ。侵入者では、ない。

だが、表示されたIDを見た瞬間、彼は自分の視覚を疑った。



<CODE-TYPE:VIP/ID-No.00000069/ANIKI>



居るはずのない男のそれだった。何かの悪戯だと思った。そうであって欲しいとも。『あの事件』で、春九堂は『彼』を裏切った。

あっさりと、スクール水着をきたヤツ―ワタナベに堕とされた。そしてのうのうと未だ警備部長のポジションに収まっている。

『彼』は追放された。学園の全権はワタナベに移った。だから『彼』が戻ってくることは有り得なかった。

春九堂は警棒というには大きすぎる愛用のバットを握りしめ、セキュリティルームを駆け出した。


「これからも僕たちを守ってくださいね。」


ワタナベにそう云われていたから―。




センサーが把握した最後の位置。第一校舎の裏側。そこに『彼』はいた。まるで春九堂を待っていたかのように。『彼』は確かにそこにいた。

言葉はいらなかった。懐かしさもあってはいけなかった。だから春九堂は任務を遂行しようとした。


ワタナベにそう云われていたから―。



―オイルの臭いがした。

懐かしい臭いだ。春九堂はそう思った。

いつの事だったか、二人で日焼けサロンにでも行ったときだったろうか?

「コパトーンのサンオイルに、最高級の薔薇のエッセンスを混ぜてあるんだ。」

そう云ってニカっと笑った彼の表情を思い出していた。


鍛え上げたはずの身体も、技も、為す術がなかった。アスファルトの上に、未だ動けないままでいる自分の身体を、彼は見捨てた。


首筋から、いやおそらく躰中からオイルと薔薇の匂いがしていた。


そびえ立つ第一校舎のシルエットの向こうに見える春の空は、いやらしいくらいに薄ら蒼く、春九堂は誰にともなく、呟いた。



「正直スマンかった―」



それが任務を果たせなかった、ワタナベに対しての謝罪なのか。たった今自分を屠った、かつて裏切った盟友への謝罪なのか。今自分が置かれている状況
(あらゆる衣類がはだけられて、下半身は丸出しになっていた)への嘆きなのかは、わからず。


―その言葉さえも、冬と春とを繋ぐ強い風が、かき消していった。





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