じーらぼ!言戯道場 (G-LABO Gengi-DOJO) 管理人:みやもと春九堂(しゅんきゅうどう)
  
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ヒトコトなつぶやき 備忘録
「自業自得の人工透析患者なんて、全員実費負担にさせよ! 無理だと泣くならそのまま殺せ! 今のシステムは日本を亡ぼすだけだ!!」とのたまい、世間の反感を買って、出演していたテレビ番組を降板させられ、ブログの転載登録をされていたBLOGOSからも打ち切られた長谷川某が新しくブログ記事を書いて「炎上から現在に至るまでの顛末」を書いているのですが、何を云っているのか、僕にはまるで理解できません。

どんな現場でどのような専門家のどんな意見をヒアリングしたとしても「病気になるのは自業自得。自己負担で受けろ。高い医療費を払えないのならば殺せ」という言葉を出した以上の事実はありません。そもそもどういう立場から彼に「病人を殺せ」という権利があるのかわかりません。そして彼は何も反省していないのです。

彼がどんな背景を持ってこの「殺せ」という言葉を出したのかということにはまるで興味はありません。個人の思想はそれぞれなので、そこはそれこそ自己責任です。僕は読み手として、目の前に出された文言から読み取るのみです。

「社会保障が破綻する。生きているだけで無駄。殺せ」。最近どこかで見たような気がする言葉です。「透析患者」「施設入所の重度障害者」に置き換えてみるとわかりますが、あの相模原の大量殺人鬼と同じことを云っているのですね。

長谷川某は今回の記事で「見出しが過激だった」「誤解を招いた」「反省すべきですね」と並べていますが、一度ネットに出した言葉は消すことはできません。今回の記事を書くにあたって、弁護士と一緒に随分ネット(というかツイッターですね)に張り付いて監視していたようですが、それだけネットにはりついていたならば、そこはわかるでしょう。

そして見出しが一人歩きすることもわかるでしょう。その点も踏まえて、結局はこれまでと同様に過激な言葉や表現を使って炎上させて、ブログのアクセス稼ぎをしようとした意図が見え透いているのです。許される余地はありません。


また彼を降板させようと「煽った」とされている人達に対して「何が残りましたか?」「ゲームなんですよ」と彼は云っていますが、公の場所や公共の電波で、そのような言葉を吐いた人間が消えることは大いに意義があります。それは「影響力」の消失です。人を殺すことを推奨するようなアジテーターは消えて当然です。「そういう考えもあるのか」と同調する人間が何かを起こす前に消えなければなりません。

「取材した医療の現場から『よく言ってくれた』と激励された」とも記載があります。これが事実であるならば、とんでもないことです。患者が命を託す医療従事者が「自費で払えない自業自得の患者は殺せ」と考えているということになります。彼の発言は医療従事者全体への不信にも繋がります。この点についても自己弁護一辺倒で全く考えていないように見えます。脅威的な想像力の欠如です。

「画面の向こうでどんな人間が見ているかわからない」ということを重々理解しなければいけないのが、ネットリテラシーの基本中の基本です。そもそも彼はアナウンサーであり「画面の向こう」への影響力に関してはネット以上に発言に気をつけなければならないことは理解していなければならないはずです。それがまるで出来ていなかった。

これが今回の騒動の僕なりの見解です。「人が人を殺す」というハードルを乗り越えるには相当の覚悟と努力が必要になります。しかし「影響の大きな意思・思想」が後押しすれば戦争・弾圧・迫害という形でハードルを容易く乗り越えることができます。思考が偏れば「無敵の人」を作り出します(無敵の人については調べてくだされ)。アジテーションとはそういう側面があるのです。

本当は後述するの事件のことを引き合いに出したくはなく、彼の暴力的アジテーションとこれらを紐付けることもしたくはなかったのですが、川崎老人ホーム連続殺人事件・相模原障害者施設殺傷事件・横浜大口病院連続殺人事件などの社会的弱者への無差別殺人を想起させるには十分な内容です。社会的不安を与えた影響も大になるわけです。

僕は彼のブログにリンクも貼らないし直接抗議もしません。それは彼と関係を持ちたくないからです。炎上案件を望んで作り出すような人間は、僕自身の精神的に有害な存在だからです。なので悪口雑言を並べたりスポンサー抗議なども一切しません。ただあまりにも的外れな事を書いていたので、備忘録として本記事を書きました。


そして最後にもう一つ。透析を受けていらっしゃる方のみならず、終末期患者・医療費免除(一部)免除(自立支援・高齢者の負担率)・健康保険(一部)免除・障害や老齢年金受給者・生活保護受給者、これらは全て社会保障の枠にあります。そして彼ら彼女らの多くには自分自身に対して「生きている意味がない。私には社会的価値がない。生きていることが申し訳ない」と考えている人や、常に希死念慮にまとわりつかれている人も多いです。

「社会保障が破綻するから殺せ、死ね」という暴力的アジテーションは、こうした人達への無差別的ヘイトを高めることにもつながり、さらに彼らのもつ希死念慮や自傷他害への後押しをすることにもなりかねません。こうした暴言によって追い詰められていても社会保障を受けることを躊躇い、悲しい選択をしてしまう人もいるかもしれません。また悲しい選択をするギリギリの所にいる老老介護・寝たきり介護家庭の「ギリギリ」を越えさせる懸念もあります。

考え過ぎだという方もいらっしゃるかも知れませんが、「死ね」「殺せ」という言葉はそれだけ強い影響力をもった言葉です。「社会保障の破綻に対する注意喚起を訴えたかった」というのならば、他にもいくらでも表現があったはずです。それを悪意ある暴力的アジテーションという行為を選び、及ぼす影響について全く想像も反省もしていないことに、僕は恐怖すら感じています。以上です。

[2016 年 10 月 06 日- 17 : 59 ]