じーらぼ!言戯道場 (G-LABO Gengi-DOJO) 管理人:みやもと春九堂(しゅんきゅうどう)
  
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ヒトコトなつぶやき 笑いの導線
ツイッターでゆらゆらと考えごとをしていたので、備忘録的にちょっとまとめてみました。

『笑いの導線』というものが人が人を笑わせる行程に存在すると思います。「現象に対して、そうではないものを提示(ボケ)し、否定する(ツッコミ)」という流れが基本中の基本。で、今のお笑いをやっている芸人さんやタレントさんを見ていると、その『笑いの導線』は非常に複雑化していると感じるのです。

「○○だ」→「いや○○じゃねーよ」というのが、基本「提示から否定」への、いわば「直進」です。しかし例えば「喩えツッコミ」は軽く右折か左折をしてからの直進。「そうでないものに対して、そうでないものを提示し、否定をショートカットする」ツッコミはワープみたいなもんです。

このワープツッコミというものは、とんでもない速度で「提示」からの「連想」という右左折を何度も繰り返して、最終的に「否定」に直進しているわけですが、その複数回の右左折を感じさせない速度で提示するんですよね。

こういうものは当然プロの仕事なわけですから、台本・脚本があってのことなのでしょうが、ボケの「提示」に対して食い気味なくらいの勢いでワープツッコミが入るのは実に痛快です。オードリー若林さんが若干キレ気味に放つツッコミがそれですね。

バイきんぐ小峠さんは、波を作ってから最終的に間合いと提示の重ねを繰り返しつつ、テンションでねじ伏せるパターン。この「否定」と「提示」から繰り返される「提示」の畳みかける間に「聞き返し」や「状況の整理」が入るので、落着するまでが少し長い感じです。次のターンに入るときに「まぁわかったよ。それで?」と入るケースが多いですね。

サンドウィッチマン伊達さんは富澤さんのボケが、そもそも一捻り二捻り以上されていて難解なので、聴衆が理解するまでの短い間を作ってから「いや、〜じゃねぇんだからさ」「〜かと思ったよ」などの「例示の提示」という短い迂回を重ねて使いますね。両者共に大好きなタイプ。

毛色が変わったところでは、ナイツ土屋さん。ホームグラウンドと出自が、お年寄りのお客様が多い演芸場だけあって、塙さんの立て板に水の如く続く、言い間違いの提示というボケに対して「お客さんがどう言い間違えて全く違うものになっているのか」を理解するまでの間を「え?」「ん? ん?」「あれ?」という疑問合いの手的な作るタイプですね。連続する「提示」を「否定」して「訂正」し、その後さらに別例を提示して補足までする非常に丁寧な導線を作っています。これもまた凄く好きなタイプです。

漫才とコントで全く違う風景が出てくるのは当然なんですが、それぞれの特性を持つ「笑いの導線」は「ネタ」ではないバラエティなどで、その特徴が光るときがあります。放送作家の手腕かほ本人の才能なのかは別として、ですが。

バカリズムさんもワープな方だけど、発言するまで・している間・終わった後の空気や雰囲気コミなので「役者な人だなぁ」と痺れますね。そして僕が大好きな、さまぁ〜ずのお二人は、とにかく「直進」のやりとりがメイン。たまーに大竹さんが「〜じゃねぇんだから」となるのが面白いですね。ボケなのにツッコミが出るんです。それが実に心地良い。


ラジオや音声などは人間に五感に訴える情報が1つ(聴覚)。テレビ番組や動画は映像と音声では2つ(視覚・聴覚)。しかし、これが文章となると非常に難しくなります。しかし文章が五感を刺激するのは視覚だけ。しかも能動的に情報を読み取らなければなりません。つまり文意を理解するまでにえラグが発生するわけです。マンガのネーム(フキダシのセリフやら地の文的表現など)も、まぁ文章どっこいどっこいです。

さまざまな「笑いの導線」を文章で再現できるかというのは物書きの端くれとして、実に挑戦し甲斐のある課題だと思います。文字書きとしては「会話劇」は発言者ごとに改行するので、行を稼ぐのには実に安易で便利な方法なんですよね。しかし描写が足りなければ読み手に届かず、かといって冗長になってはリズムが崩れます。

文章だけで「笑いの導線」を再現するのは、やはり相当難しいです。フォントいじりでの演出やLINEのスタンプのような仕様で画像を作ってやるというのも手段の一つでしょう。そう考えると「笑いの導線」の終着点を「際立たせる」用法を使ったり、目指すべきところは「声に出して読みたい会話文」や「声で再現できる会話文」ということになるのかなぁ。いつかチャレンジしてみたいものです。

[2016 年 09 月 18 日- 06 : 18 ]