じーらぼ!言戯道場 (G-LABO Gengi-DOJO) 管理人:みやもと春九堂(しゅんきゅうどう)

【 2003年11月26日-04:58 のつぶやき】

思い出の池袋#3


小・中までは家電製品というかゲームソフト購入目的で、高校になってからは大好きなミュージシャンの「聖地巡礼」から、足下が覚束無いようなデートで。そんな風に、僕にとっての「池袋」は変わっていった。

行く場所が変われば街に対する印象も変わる。そもそもビッグやサクラヤなんかの大型家電店やら、ハンズやサンシャイン、大きなゲームセンターなんかは東口にあるし、件の「カプリ」は西口だ。それだけでも大きく違う。

僕の中で簡単に整理すると、池袋は東は若者向け、西は古くからの繁華街。北は花街風俗街で、南はジュンク堂があるくらいで、あとはよくわからない(笑)、となる。

高校・大学時代だけを思い返してみても、東口は通うたび見るたびにお洒落な若者向けの街にどんどんと姿を変えていったように思う。西口にも大型カラオケ店などが出来たりしてからか、随分と若者が増えて馴染みやすくなった。北口は相変わらずだし、南口も相変わらずよくわからないけれど、それでも「随分賑やかになったもんだなぁ」なんて思ったりする。


そんな中で、僕の「遊び場」はといえば、やっぱり西口だった。西一番街、ロマンス通りは当たり前で、西口五叉路の南北、丸井の裏東西あたりまでが大体のテリトリー。小・中の頃なんかは「アブナそうで入れない」ところだったり、高校生になっても「アヤシクて入れない」ところだったりしたところが、大学生になると「オトナ専用っぽいが、探検気分で」という感じになって、だんだんとテリトリーを広げていったのだ。

そうして池袋を探検する目的は「飲食」になった。酔いの楽しさから酒の味も少しはわかるようになったあたりで、少しずつ飲食の幅が広がってくる。美味くて安くて落ち着ける店を探したり、噂や評判を聞いた店を訪ねたりして、随分と飲み食いを重ねたと思う。

残念なことに「池袋で食べ歩き」という趣味(?)のキッカケを与えてくれた「カプリ」は閉店してしまい、今では全く違う建物になってしまったけれども、僕は新たに「お気に入りの店」を増やしていった。


大学も後半に入った頃、僕はひょんなことから新宿でアルバイトをはじめて、その内に夜の新宿で接客業のアルバイトをすることになった。

どんな業種かは御想像にお任せするとして、基本的に夕方前入りの始発帰りという職種なものだから、店を出た後始発まで時間を潰さなくてはならない。つまり終夜営業の店に入って時間を潰す必要があるのだ。

深夜の新宿には、終夜営業の店は呆れるほどにあるのだけれども、僕らは何人かでタクシーに乗り込んで別の街に河岸を移していた。そんな中でも多かったのが池袋だった。

新宿からよりは池袋の方が家に近いし、誘ってくれる先輩が豊島区のマンションに住んでいたこともあって、促されるままに池袋で夜明かしをしていたのだけれども、やがて「帰れなくても、新宿からは離れたい」という考えが僕の中にも出始めた。

明確な理由は今でもよくわからない。だけど一端店を出てしまうと、新宿という街の早朝まで当たり前に続く喧噪や煌びやかさが、とにかく煩わしくなってしまうのだ。それがイヤで逃げ出すように新宿を後にする。僕にとって新宿は色々な意味で「作り物の街」だった。今でもその印象は変わっていない。


とにもかくにも上司や先輩に連れられるままに、池袋界隈で夜明かしをする日々が続いた。すると西口にも東口にも北口にも南口にも、まだまだ知らない店がいくつもあることに気づかされた。

とても「大学生」の身分じゃ入れないような店もあったし、地位や予算や立場やナリとかではなく「空気」として学生一人では入れない店もあった。それは高級感があるとかそういうのだけではなく、そこはかとなく埃っぽくて土臭いような「昭和の匂い」が息づいている店達だ。

新宿ゴールデン街がそういう場所としてよくあげられるけれども、池袋の「栄通り」や「人生横丁」にあるのは、まさにそんな店ばっかりだった。

そこで僕はホッピーのハイスパートな酔いを知り、煮込みとヤキトリの味を知り、サワーではない焼酎の味と少しのカクテルを覚えて、ジャズとオールディーズと演歌とムード歌謡を体感した。


こうして僕の中の池袋の地図はどんどん更新されていった。それと同じ頃にバイクを手に入れてバイク便の真似事のようなバイトもしていたので、都心にはバイクで来ることが多くなり、位置関係も道路の連携も地図には書き込まれていって、その地図はどんどん変化していった。

地図の更新が突然止まったのは4年ほど前のことだ。その年の暮れに僕はかなり深手の傷を負ってしまった。ぶっちゃけてしまえば失恋というヤツだ。

妙な云い方だけれども、その恋の「舞台」は都内だった。それを失ってしまった僕は、遊び場に行く子どものように楽しかったバイクでの都内への道行きも、電車から見る風景も駅の雑踏も、全てが虚ろなモノになってしまって、ぱったりと都内に行かなくなってしまったのだ。

「あの人の面影が辛いから、あの人の思い出が悲しいから、あの店に行くのをやめた」なんていうのは二昔くらい前の失恋歌の定番みたいなもので、自分がそんな温くて甘ったれたロマンチストだとは思っても見なかったのだけれども、実際に行かなくなってしまったのだ。


別に地元でだって遊び場には事欠かないし、買い物にしたって都内に行かなくても買える。どうしても必要な時だけは出向くけれども、それ以外は全く行かない。行く必要がない。行きたくない。そうして地図の時間はとまってしまった。

とまった地図の時間が動き出したのは、ここ1・2年のことだ。そのキッカケというのがサイト絡みだったりするからちょっと笑える。理由は簡単で、地元以外のメンツが集まりやすいからだ。

ともあれ、二度と足を踏み入れないだろうと思っていた新宿歌舞伎町にもそこそこ頻繁に行くようになったし、池袋に至っては再び常連に舞い戻っている。様変わりした西一番街では新しい店を開拓するようになったし、すっかり常連になっている店も出来た。


先日ちょっとした内輪の集まりで池袋にいったのだけれど、運悪く店が閉まっていたり満席だったりで「新しい池袋」にフラれてしまった僕は、昔の記憶を頼りに仲間達をナビゲートした。目的地は落ち着いた雰囲気のバーで、美味しいカクテルを出してくれる店。

ところが辿り着いた場所は、バーをやってはいたけれど外装からして違う店になってしまっていた。それでも店内に入ると、当たり前だけど内装も変わっていて、ポマードで固めたオールバックがキマっていた初老のマスターの代わりに、若いバーテンダーが出てきてオーダーをとった。

聞けばこの店になってからは今年で3年目で、確かに前もバーだったという。記憶は間違ってはいなかったけれど、時間は当たり前に動いていて、僕の地図は取り残されていたようだった。


そこで数時間を過ごした後はラーメンを食べて小腹をふくらませ、カラオケへと移った。今ではなんでもない「オールナイトでカラオケ」というコースも、マンガ喫茶なんて便利なものがなかった昔は「酒を飲みたくない&ソファでもなんでもいいから横になりたい&カラオケのネタを仕込んだり歌の練習をしたりしたい」という場合の夜明かしコースの定番だった。

追い出される時間になると精算のレジカウンターの周りは、ちょっとした混雑になる。これは数年前も今も変わらない風景だ。新宿で働いていた頃は、まだそんなにそういうカラオケボックス(ボックスって呼んでたんだよなぁ)もなかったので、レジ前の人ごみの中、疲れ切った寝ぼけ眼の同僚や顔見知りの同業者に遭遇することもしばしばだった。

そんな事を、やっぱりぼぅっとした寝ぼけ眼のまま思い出していたら、ネットの知り合いにバッタリ遭遇した。そういえばその日集まった内輪のメンツも、ネットで知り合った連中だった。

苦笑混じりに彼らと挨拶を交わしながら「同じ池袋でも、色々なモノがかわったなぁ」なんて独りごちてから、僕らは早朝の池袋をファミレス求めて歩き始めた。


「As time goes by.」とか「時の過ぎゆくままに」なんていう同意異国語は多くあるけれども、その中に「年年歳歳花相似たり。歳歳年年人同じからず」という詩句がある。僕はこれを詠みかえて「年年歳歳花相似たり。歳歳年年街同じからず」なんていうのもアリだなぁと思ったりした。

時が経てば人も変わるし街も変わる。それは当たり前のことだけれども、毎年咲く花のように変わらないものもある。この本歌のように年経ることや移り変わりを嘆いたりするつもりはないけれど、やっぱりどこかしらにほんの少し寂寥の想いがある。

池袋に来る目的もかわったし、馴染みの店もいくつも無くなってしまった。だけど僕がこの街を「好いなぁ」と想う気持ちは変わらないし、何か目的があるわけじゃなくとも仲間と一緒に漫ろ歩くだけでも楽しくなれる。そんな街、池袋。

故郷と地元以外にも、そんな街があってもいい――そんなことを考えながら、僕は歳を重ねたただけ余白の増えた自分の池袋マップに、昨晩のバーの名前と場所を新しく書き加えたのだった。


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