じーらぼ!言戯道場 (G-LABO Gengi-DOJO) 管理人:みやもと春九堂(しゅんきゅうどう)

【 2003年11月24日-13:04 のつぶやき】

思い出の池袋#1


僕は埼玉県人だ。正確には本籍は信州信濃、つまり長野県人なのだけれども、それは血統の問題であって生まれ育った土地は埼玉県である。

それも埼玉県は旧・浦和市に生まれ、生後間もなく最初の引っ越しを経験し、埼玉名菓「草加せんべい」の草加市に移り住んだ。さらに幼稚園の卒園を待たず再び浦和市に舞い戻り、大学までの12年間をそこで過ごしてから大宮市に引っ越し、今に至っている。

浦和市と大宮市は、その間にある与野市を加えて「さいたま市」になり、現在は政令指定都市となっている。この何ともいえない市の名前からか「さいたまさいたまー」というAA(アスキーアート)と共に、全国的に有名になってしまったりもしている。


ともあれ、そんな埼玉県のさいたま市に住んでいる僕にとって、埼京線開通以来、非常に身近になった池袋という街はちょっと特別な場所だった。

ちなみに僕の人生初の単独都内行は小学校4年生かそこいらの時の秋葉原行きであり、目的は電気街をうろついて安い中古ファミコンソフトを求め歩くということだった。結構オタオタしい過去だ。

まだ京浜東北線に快速がなかった頃だから、水色の電車は一時間ぴったりかけて秋葉原駅に到着する。それが僕の都内行き初体験であったから「東京行き=電車で1時間」という定義が僕の中に根づいたりした。

「東京」という場所に特別な憧れがあったわけではないけれども、大きなスクリーンの映画館があったり、近所の店よりも安い上に品揃えも比べモノにならないというのが「都内の印象」だった。


さて、話は池袋に戻る。池袋に初めて行ったのは中学そこそこの頃だと思う。目的は「ビッグカメラ」と「カメラのさくらや」と「ヨドバシカメラ」を物色しに行く為だった。お目当てのモノは当時大流行していたゲームボーイ本体だったと思う。

関東近郊の方なら御存知だと思うが上に並べた3つの店舗はテレビCMで安さと品揃えの好さを高らかに歌い上げていた。「東が西武で 西東武 高くそびえるサンシャイン」なんていうフレーズは、覚えたくもないのに、気がつけば諳んじることが出来るようになっていた――というくらい頻繁にCMが流れていたのだ。多分夕方の再放送番組やアニメ番組の枠のスポンサーだったのだと思う。

そうして向かった池袋。僕は何故か上野まででてから山手線に乗り換えて池袋に行くという不思議なルートを辿って現地にたどり着いた。無論一時間以上かかっている。それでも目的地に辿り着いた喜びは大きく、目的のモノは購入出来なかったがサンシャインをみたり(文字通りみるだけ)、CMの店を物色できたことで随分満足したことを覚えている。


さて、その帰りの事である。切符を買おうと思って路線図を見てみたら、最寄り駅ではないけれど「南与野」やら「大宮」という見慣れた名前の駅がライン上に乗っている、エメラルドグリーンの路線が目に付いた。これが埼京線だったのだ。

僕は埼京線という路線が数年前(当時)に開通していたのは知っていたし、南与野という駅は御近所テリトリーの一つであった。そこで冒険という程のモノではないが、初めて乗る電車に乗り込んで帰路についたのである。

当たり前だが電車は普通に南与野駅に到着した。所要時間は三十分強だったろうか。僕の「都内行き」の基準はそれまで「秋葉原」であったわけだが、池袋までの切符代は秋葉原までのそれより安く、当たり前のことなのだが「それだけ距離が近い」ということを、この時初めて知ったのだ。

つまり「浦和→池袋→秋葉原→横浜→鎌倉(鎌倉は何故か何度か行っていた)」という距離配置が、初めてこの時出来上がったのである。


都内というのは僕にとっては「地元では買えない買い物をするところ」であったから、それ以来「池袋」という街は、その目的を果たす為の最も近い「都内」になったのである。
<つづく>


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