じーらぼ!言戯道場 (G-LABO Gengi-DOJO) 管理人:みやもと春九堂(しゅんきゅうどう)

【 2003年11月19日-23:10 のつぶやき】

「おくにことば」なお話


昨日のK−1では注目しているウルフなカレが勝利したり、その試合内容とかでも色々話したいことがあったりするのですが、とりあえず書きたいと思ったときに書いてしまおうということで別のお話。

『方言』という言葉がある。日本国内の地方独特の言い回しや言葉のことだ。日本語は一つの言葉ではあるけれども、地域によって実に様々な方言がある。

さらに同じ言葉や表現でも、イントネーションが異なる場合があり、それは『訛り』と表現される。「言葉」が「化け」て訛り、言い得て妙だけれども漢字もなかなかにふるっている。


僕は埼玉に生まれて埼玉に育っているので、基本的には東京が首都となった「国語元年」以降の標準語圏内に身をおいていることになる。

埼玉に方言や訛りがないかといえば、そんなことは全くないのだろうが、幸いにも方言や訛りにの強いところではないところに生まれ育ったからか、他の標準語圏の人と会話をしていても違和感を感じることはない。

加えて、両親の教育がよかったのか、それとも多くの本を読んできたからか、子どもの頃からNHKばかり見ていたせいか、はたまた「言葉」にただならぬ興味を持っているからかはしらねども、言葉遣いの丁寧さと正しさには一応それなりの自信があるつもりでいる。


さて、そんな僕であるから、方言や訛りにはちょっとした「憧れ」があったりする。理由は簡単で、僕はそれを「持っていない」からだ。

だから僕は、「方言」や「訛り」という言葉はあまり好ましいイメージを持っていない。言葉が「化ける」というのも「正しい」とする言葉があるからだし、「方言」にいたっては「地方の言葉」ということになる。いずれも中央崇拝思想に寄っているものだと感じてしまうからだ。また、そうしたこともあって方言や訛りをコンプレックスにしてしまう人も多くいるという。

確かに、相互に通じない表現や言葉、意図を違えてしまう同音異義語のイントネーションや、感情表現的なものもあるだろうから、「共有語」「共通語」としての「標準語」はコミュニケイションの為にも重要なものだとは思う。

でもだからといって方言や訛りを「外れたモノ」としてしまうネガティブな捉え方も、そうした言葉も、僕は好きではない。これらはその人の生まれ育った土地の言葉であり、バックボーンであり、その人にとっては母国語といっても過言ではないものなのだから。


ところで、日本語の素晴らしいところは、一つの事象に対していくつもの表現語彙が存在することだ。そして「方言」や「訛り」というネガティブな表現(僕がそう思っているだけだけれど)ではなく、それらを表現するのにも、素敵な言葉がある。

『おくにことば』がそれだ。「おくに」はそれこそ昔日本に都道府県が設置される前に「〜ノ国」と呼んでいた表現の名残であり、「郷里/故郷」と書いて「くに」と読ませる方の「おくに」でもある。なんとも柔らかくて、僕の好きな言葉の一つだ。


「おくにことば」は、その名の示すとおり、その土地に行けば普通に使われている表現であったり、交わされている言葉であったりする。そして、その土地から標準語圏に来た人も「持っている」言葉だ。

だけれども大概の人は標準語と「おくにことば」を使い分けていて、滅多に耳にすることはない。さっき挙げたコンプレックスの面と、コミュニケイションの問題の両面からそうしている人が大多数のようだ。

彼らの多くは「気を抜かないと出ない」とか「地元の連中と話していないと出ない」という。そりゃあそうなのかもしれないけれども、どんなに仲良くなっても「おくにことば」で話をしてくれるところまでは打ち解けられないのかなぁと思うと、ちょっと寂しくなったりもするのだ。


でも、こんなこともあった。昔、友人に秋田出身の男がいた。彼は普段完璧なまでの標準語を話していて、普通に砕けた言葉でも喋るし、なによりも雑談をすれば様々な話題に会話のボールが弾んで途切れることがないほど気の合う男だった。

彼は東京の外れで一人暮らしをしていて、僕やその他何人かの友人が週末毎に彼の下宿に集まっては、ハムライスや商店街で安売りしているコロッケを酒菜に安酒を呑み散らかしては大騒ぎをしていた。

それは、そんなある週末のことだった。彼が珍しく郷里の話をはじめたのだ。僕よりいくつか年かさの彼は当時大学生で、郷里の秋田から推薦でこちらの大学に進学してきていた。

彼は、高校では応援団長をつとめていたこと、勉強も応援団の活動でも目立っていて様々な期待を背負って東京に来たこと、郷里の仲間のこと、家族のことなどを、ゆっくり、ゆっくりと僕に語った。

陽気な彼が豪快に酔っぱらいながら話すそれらのことは、懐かしさからか故郷を思って気が緩んだのか、明らかな「おくにことば」まじりで語られていて、安酒に酔った僕の耳に優しく、どういうわけか僕まで懐かしく感じるほど、心に響いた。

この時の記憶は10年近く経った今でも、彼の朴訥な「おくにことば」混じりの語りとともに、鮮やかに思い出すことができる。そして「ああ、好いなぁ」という僕の羨望の気持ちも一緒に。


ともあれそんな感じで、僕は「おくにことば」が好きなのだ。男のそれも好きだし、女性のそれはもっと好きだ。さらにいうならば年上の女性の柔らかい「おくにことば」が大大大好きなのだ。

嗚呼――「おくにことば」で口説かれてみたい、「おくにことば」で囁かれてみたい、「おくにことば」で甘えられてみたい、「おくにことば」で叱られてみたい、「おくにことば」で癒されてみたい――。


自分の持っていないモノに欲求や羨望のまなざしを向けるのは至極当たり前とはいえども、ちょっと偏り過ぎだろうか……なんてことを思いつつ、僕はふとした拍子に街で耳にしたイントネーションの異なる声に、また少し胸をときめかせたりするのである。


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ウルフになる為に 〜そのニ〜
この記事の直前の記事です。
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