じーらぼ!言戯道場 (G-LABO Gengi-DOJO) 管理人:みやもと春九堂(しゅんきゅうどう)

【 2003年09月11日-09:30 のつぶやき】

頻出表現/単語 その1


ガチンコ(がちんこ)
勝敗や展開などの筋書き無しの真剣勝負のことを指す。ジャニーズ系の某番組のことではない。語源は相撲競技など。通常「ガチ」と略されて使用される。転じて「マジ」などと同意語ないし上級表現として使われることがある。
一部AV業界では「生本番」と同意語で使われたりもしていた。確かにそれはそれで真剣勝負だが、その使い方はどうなのよ、と思う。

※同意語:セメント・シュート


鉄板(てっぱん)
不動・確実であることを意味する。語源は競馬・競艇・競輪などのギャンブル種目。勝ち負けが見えているハズしようのないレースをして「鉄板レース」「鉄板予想」という。
転じて「絶対に」「まず間違いなく」という表現の同意語として使われることがある。
一部には投票券(馬券・舟券)が破れない(ハズれない)というところから、脆いはずの紙を「破れない・折れない」鉄板に比喩したという説がある。
ちなみに焼き肉にしようしたりする実物のことではないが、ゴッドハンド・マス・オーヤマはこれを左中段正拳でブチ抜いたという。鬼。


タップ(たっぷ)
関節技・絞め技などがある格闘技において「ギブアップ」「参った」の意思表示をするときに「相手の身体、マット(畳)などを2・3回以上掌で叩く」という行為をさす。体勢によって言葉が発声出来ない状態や、絞め技などで発声が出来ない状態、また「ギブアップ」や「参った」が通じない時に使うボディランゲージ。
床を軽快に踏みならすダンスではなく、ましてやNHK教育テレビの「いちにのさんすう」に登場した可愛らしいオバケでもない。ちなみに筆者は歯医者で「痛かったらタップしてください」といわれたことがある。格闘経験者か。


心が折れる(こころがおれる)
闘争において自らが敗北を認めてしまった瞬間をさす比喩表現。もともとは「腕を折られても心が折れなければ負けではない」とする不屈の格闘精神から転じたモノ。
基本的にあらゆる格闘技では「どんなに敗北だとされても、自分の心が負けを認めるまでは闘争は続く」という精神教育を施し、真の敗北は「心まで負けたとき」だとされており、そこから転じたものである。
この表現の最大の焦点は「折られる」ではなく「折れる」であること。つまり自ら敗北を認めてしまっている状態であるということ。稀に心を複雑骨折する別の意味での強者もいる。


ちょっとガチな話。最近ヤマジュンだの男色ディーノだので妙な盛り上がりを見せている当サイトだが、どういうわけか「春九堂は、そっちの趣味に違いない。鉄板で」という認識が広まっているらしい。

待て待て。どちらかというと女の子が大好きなこの僕に限ってそれはない。本当にない。数年前、兄貴が借りてきて健ちゃんらと観たゲイビデオで、真っ先に「これはいくらなんでも無い!ありえない!!」とムンクの「叫び」顔になりながら高速タップしたのは他ならぬ僕なのだ。あれは本当にありえなかった。

まぁ冗談で云っているうちはいいのだが、真剣にそう思われるのはある意味ショックだし、ましてや「プロレスや格闘技好きだから」というのを理由にするのは以ての外だ。プロレス・格闘技ファンに対しても、選手に対しても失礼極まりない。

確かにそういうキャラクターのレスラーもいるし、実際にゲイであることを引退後にカミングアウトしたレスラーもいる。知人のゲイの方で、プロレス・格闘技ファンもいる。だがそれは他のスポーツのファンであるというのと同じ立ち位置に他ならない。

ネタで僕自身の事をどうこう云っているあいだや手の届く範囲でのことなら、まだいいかもしれない。だがそれ以外の分野にまでそうした事を押しつけるのは正直どうかと思う。というか腹が立つ。度し難いことだ。

男色ディーノを紹介するにしてもヤマジュンを紹介するにしてもそうだが、僕はその「エンターテイメントとしての突き抜けた面白さ」を主眼にしているのであって、ゲイセクシャルの方や、その世界を小馬鹿にするような意図は毛頭ないのだ。

僕はこうしたことを題材とする場合、それを遠巻きにして指さして笑うのではなく、あまり後先を考えず渦中に身体ごと飛び込んでみて、その中から出来事を伝えるスタイルでいたいと思っている。そしてそれが標榜するところの「小規模エンターテイメント」として昇華出来れば一番であるとも、だ。

そうしたやり方だから、僕自身が笑いものになるのは構わないし、むしろそれでいいと思うのだが、意図しないところに余分な誤解がついてくるのは残念極まりない。こうしたことは情報を発信している身としては常に十分に気をつけなければならないことであるし、気をつけてきているのだが、インターネットという読み手と書き手の双方向性があるメディアにあって、こうした誤解やすれ違いがあるのはなんとも悔しい。書き手としての自分の実力不足を痛感する次第だ。


まぁつい愚痴の様な事を色々ほざいてしまったのだけれども、結局の処何が云いたいかというと、最近知り合った素敵な娘さんがいまして、ええ。家も近所だし「よーしパパ頑張っちゃうぞー」とか思いはじめた矢先に、「家元は男色家なんですよね」確定条件を確認するかのように扱われて、頑張るも何もその前から心が複雑骨折したって話なんですけどね。






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